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LAMPエンジニアってこういうもんでしょ

こういうもんでしょって話をつらつらと

イヴの時間

先日飲み屋でお話したお姉さんとの話の中で
「OSが人格を持ってオーナーがOSに恋してしまうっていう映画を観たんだけど
何だか気持ち悪くて・・・」
という話題が出ました。
OSはもちろんオペレーティングシステムの略ですが
この場合はAIの話と考えた方が良いでしょうか。
人工知能との対話インターフェイス
よりコミュニケーションが容易な音声による対話式が良いでしょうし
そこに人格を持たせた方が
人の生活にはストレスなく馴染めるというのも事実でしょう。
iPhoneに搭載されているSiriとかが良い例かと思います。
人格と言う程のものは持っていないかもしれませんが
対話に対してある程度ウィットに富んだ返しをしてくる事もあるようです。


コンピュータの発展と共に
あるいはロボット工学が進化していくと共に
ヒューマノイドと人間の共存という話題は出てくるものです。
倫理的にどうなのか。
ヒューマノイドやAIによって人間社会が乗っ取られる可能性があるのではないか。
そんな話題が人の創作意欲に火をつけて
警鐘を鳴らすような作品はいくつも作られています。
しかしロボットもAIも所詮は人が作るものです。
人間は人間を超える物を作れるほど賢くありません。
将棋やチェスの世界では人間を超える成績を上げるコンピュータも出てきていますが
それは決して普段の生活の中で生かされるものではありません。


コンピュータが出来る思考能力は
人間のようないい加減なものではありません。
全てが論理的に組み立てられていなくてはならず
あるいは可能性の計算が出来る状態でなくてはならず
それを「適当」に解釈するのは現時点では至難の業なのです。
その昔「ファジィ理論」というのを聞いたことがあります。
プログラミングの世界で既に実用化されている分野もありますが
ファジィの範囲を定義する事は非常に難しく
それを機械に定義させるのは大変なことです。


世界のコンピュータの進化は日々進化していると言え
とても自分が生きているうちにヒューマノイドが一家に一台の世界が来るとは思えません。
例え実現したとしても
そこまで性能の良いものではないでしょう。
まだ起きるかどうかもわからないものに怯えるほど愚かな事は無いと思いますし
実現可能だとわかった時点で
実現しようと考えている人々が制御の機構を考えるべきだと思うのです。


先日の話で少し思い出して
イヴの時間」というアニメ映画を観ました。
ヒューマノイドハウスキーパーとして一家に一台いる世界の話です。
色々な規制はありますが
あんな世界が本当に来れば良いなと
そんな風に思います。
まあ高い買い物でしょうけど
そのうちスマートフォンみたいな感じで
全国に普及していくのでしょうか。
もう今生きている人はいない世界だと思いますけど。。。